なぜ雪は白いのか。

日々感じたことをエッセイや物語にして綴ります。現代社会を美しい日本語で表現したいです。Twitter(@yuki_k000)

【実話】中学生の時、作家に深い傷を負わされた話。

 

読書が大好きだった私が、自ら文章のようなものを書くようになったのは小学4年生の頃だったと思う。文章の体を成していたかは疑問であるため、“文章のようなもの”という表現は限りなく正しい。

 

当時、流行っていたアニメやら漫画やらのスピンオフエピソードをブログで連載しており、同世代の読者を中心に10万PVを達成するなど、小学生にしては中々の人気ブログだったと思う。
 

作家になれるなどは微塵も思っていなかったし、このままブロガーとして同志たちと密かに楽しんでいければ十分だと思っていた。作家は、私にとって雲の上の存在だった。

 

歌が好きな子がアイドル・歌手に憧れるように、本が好きな私は作家に憧れた。

 

 

私が中学生の時、授業の課題で書いた小論文が何らかの賞を取った。千人以上の応募者の中から選ばれた数名のうちの一人になったらしい。私は大きな舞台で読み上げることになった。

 

何度も練り直して、弁論の練習もいろんな先生たちや友達に協力してもらった。

 

当日の会場は私の想像よりもはるかに大きく、政府関係者や記者、TVも来ていた。

弁論のテーマな「異文化」で、私はトップバッターだった。

原稿は短いが、海外経験のある私が自分の経験も踏まえた特別思い入れのある作品だった。

 

しかし、私が弁論を終えた後の講評で、審査委員であった有名作家2名に酷評された。彼らはそれまでの選考には関わっていなかった。

 

内容は全く覚えていないが要するに「綺麗ごとでしかない。」、という評価だったと思う。

 

舞台に立って千人以上いる観客の前で長々と作家たちによる評価を聞かなければならなかった。

 

私は、作家たちに「私の意見を聞いてくださって、どうもありがとうございました。」とだけ言って舞台を降りた。

 

緊張から解き放たれたことに安心しながら、控室に行くと、会場に一緒に来てくれた引率の先生が涙を流しながら何枚も抗議文を書いていた。

 

他の出場者の引率の先生たちも「根本を否定するような講評はおかしい。」と開催者側のスタッフに激怒していた。

 

ふと、見ると私の次の論者が青い顔をしていたので「頑張って。」と肩を叩いた。

 

大人たちの抗議が通ったからなのか、私から後の論者に対しては当たり障りない短いコメントしかされなくなった。

 

 

後日学校に、弁論大会を主催した団体の責任者の方が来て、私を見るや否や、深々と頭を下げてくれた。「申し訳ございませんでした。」「主催者側の責任です。」と。

何度も何度も頭を下げた。HRの担任の先生も同席してくれて、涙を流していた。

 

 

私は泣かなかった。

自分が信じてきたことと、それを表現する力が、文章のプロからしたら大したものじゃなかっただけだ。ランドセルを脱ぎたての子供が考えるようなことだし。何も不思議じゃない。


なのにどうして、周りの大人たちはこんなに私のために、怒ったり、泣いてくれたり、頭を下げてくれたりしてるのか、私には理解できなかった。

 

感情豊かな方だったが、その時あまりにも無感情だったらしく色々な人に心配された。

 

まるで心を失ったかのようだったらしい。確かに、当時の感情を私は一つも思い出せなかった。

 

この出来事の直後、私は4年続けてきたブログを消した。本を読むのをやめた。文芸部を退部し、中学・高校と運動部に入った。

無意識に嫌いになってしまったんだと思う。文章を書くのが。本が。作家が。

 

 


大学受験を終えた。私はあの出来事を忘れかけていた。

そして何気なく、また本を手に取った。水野敬也氏の『夢をかなえるゾウ』だった。

 

私は泣いた。これでもかという程泣いた。嗚咽が出る程泣いた。同時に、勇気とか希望とか感動とか・・・そういうものを全部味わった。

 

塞き止められていた感情が、溢れ出るのを感じた。

 

やっぱり本はすごい。こんな感動を与えられる作家はすごい。何より、素晴らしい本を素晴らしいと感じられる私の心がすごい。ありがとう私の心。ちゃんとそこにあった。

 

本を読むことは人の心に触れることだと思う。登場人物と共に泣き、傷つき、怒り、そして喜びを感じる。色々な感情に出会える。いろんな感情を理解できる。

 

そうして私は、10年経ってやっと、あの時どうして周りの大人たちは私のために泣き、抗議し、そして頭を下げてくれたのか理解した。

 

きっと私の書いた論文は拙かったんだろう。内容が深くなくて、具体性も無かった。だからあの作家たちの評価は間違いなく正しかった。

 

だけど、それなのに選ばれたのはきっとほかに理由がある。それは、私が世の中を本当に素直に純真に良くしたいという強い気持ちがあったからだと私は思う。

あのような純粋な文章は今の私には、きっと書けない。

 

大人と子供では文章力が違う。知識も、技術も全然。だけど子供には子供の強さがある。子供にしかないものがある。

それを作家たちがありきたりな言葉で乏した。だからたくさんの大人たちが、声を上げてくれた。先生たちは教育者だからこそ、尚更許せなかったんだと思う。

 

私は馬鹿だからそれに気づかなかった。10年経ってやっと理解して、感謝とそれを伝えられなかった後悔で涙が止まらない。

 


そんなこんなで、私はまた本が好きになったし、長いブランクを経てこうして文章を書くようにもなった。

 

あの時の有名作家たちは、今も作品を書き続けているのだろうか。私は彼らによって、一度心に大きな穴をあけられてしまったけれど、彼らの作品が大勢の人の心を満たしてくれればと願う。

 

 

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しつけに暴力は許されるか

「この馬鹿!!!!!」

ぱんっと乾いた音がして、呆けていると次第に頬のあたりがじんわり温かくなった。次第に、焼けるような熱さに変わり僕はその場所に手を添えた。

 じわじわと視界が霞んで、やがてそれは滴となって僕の顔を伝い、顎から流れた。

 その時初めて、僕は自分のしでかしたことの重大さを身を知った。罪悪感が僕の心臓を突き刺して、頬と心の痛みを必死に堪えた。

 母は何度も何度も頭を下げていた。

 振るえた声で頭を下げる母の後ろ姿を、僕は滲む視界で必死に目を凝らしながら見ていた。

 

・・・・・・

『奈津子、どうした?』

仕事から帰宅し、速攻で夕食と風呂を終えた僕は、テレビを見ながら一杯飲もうと缶ビールとつまみのチータラを両手にリビングのドアを開けた。すると、いつもはこの時間、部屋で宿題をしている娘の奈津子がテレビをつけてソファに座っていた。

 奈津子はテレビの方を向いていたが、きっと見てはいないんだろうな、と僕は思った。映っているのは小学3年生の子供にはちょっと難しい将棋の解説番組だったからだ。

 僕が声をかけると奈津子はハッとして僕の方を見た。

「パパ。」

奈津子はなにやら複雑な顔をしていた。何かを言いかけたが口をまごつかせただけで、言葉は出てこなかった。

 何かあったな、と僕は思った。

 奈津子は妹が生まれてから、本当に姉らしくなった。僕からしたらまだまだ赤ちゃんなのに(いいすぎかな)、なんでも妹に譲ってあげられるし、横断歩道で見知らぬお年寄りに手を貸していたところを目撃したときは目頭が熱くなった。学校では学級委員長を務めていて、テストは一度褒めたら嬉しかったのかいつも満点を取って報告してくる。友達もたくさんいて、休みの日にはいつも誰かしらと遊びに出かける。どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だ。

「宿題しなくちゃ。」

 夜の8時は奈津子の中では宿題をする時間で、真面目な彼女はそれを毎日必ず守っていた。

 僕はビールとチータラをコーヒーテーブルに置くと、ソファを立とうとする奈津子を軽く抱き上げて再び座らせた。その横に僕も座る。

「今日は金曜日でしょ。たまーには、お勉強をサボってもいいんだよ。代わりに明日の朝、ご飯食べてからパパも一緒にやるからさ。」

ね、と頭を撫でると奈津子は小さく頷いた。

「学校で何かあった?」

 奈津子はまた小さく頷いた。

「矢野先生が、小平さんをぶったの。」

 矢野先生とは奈津子の担任の先生だ。若いけれど、熱心な良い先生だと妻は言っていた。そして、奈津子の学校では男女ともに「さん」を付けて呼ばなければならないというルールがあって確か、小平さんとは小平直人くんのことだ。彼の母親がPTAの役員で、授業参観に出席した保護者会で挨拶をしていたのでよく覚えている。

なっちゃんね、ぶつのはいけないと思うんだけど。小平さんも悪いから、どっちがわるいのかわからなくなっちゃって……。」

奈津子の声は徐々に小さくなり、最後は聞こえなくなった。

 正義感の強い奈津子は、今日あった出来事の善悪がうまく判別できずに悩んでしまっていたのだ。僕はあまりの子供のデリケートさに息をのんだ。そして同時に愛おしくてたまらなくなった。

「奈津子、何があったのかパパにお話ししてくれる?」

 奈津子は幼い語彙力で、でも一生懸命に今日起こった事件について説明してくれた。

 

 今日は、3時間目は図工の授業での出来事だったそうだ。もうすぐ写生大会があるらしく、生徒たちは自由に校庭に出てデッサンをしていた。すると、小平さんこと直人くんが、絵も書かずに校庭のフェンスを飛び出して近くの田んぼの方に遊びに行ってしまった。直人くんは奈津子曰く、先生の言うことを聞かずに周りを困らせる問題児だそうだ。

 それを目撃した奈津子とその友達は、先生に伝えた。先生は真っ青になって直人くんを探しに一人で田んぼの方を探しに行った。直人くんは田んぼのそばにある農機具を収納するための小屋の中で隠れて先生をやり過ごし、フェンスを乗り越えて校庭に戻り、先生が自分を探している姿を笑ってみていたというのだ。奈津子は先生に直人くんが戻ってきていることを伝えに行きたかったが、勝手に校庭の外に出るのは絶対にいけないと言われていたことから先生が戻ってくるのを待っていたらしい。

 そして、しばらくして戻ってきた先生は直人くんたちを見て「どうして勝手に校庭を出たのか。」と涙を浮かべながら𠮟りつけたのだが、直人くんは「戻ってきたんだからいいだろ!」と怒鳴り返すと、その辺で拾った鉢植えに入ったオタマジャクシを先生に浴びせたという。カッとなった先生は直人くんを平手打ちした。

 これが事の顛末だ。

 なるほど、と僕は思った。

「奈津子、何か事件が起こった時にどちらかが絶対に悪いということは実は結構珍しいことなんだよ。」

 奈津子は分からないという表情を浮かべた。

「例えば、パパがお店でおやつを盗みました。お店やさんは仕返しにパパの自転車を盗みました。」

「うーん。パパがさいしょにぬすんだからいけないけど、お店やさんもパパの自転車をぬすむのはどろぼうになっちゃう。どっちも悪いからあやまらないと。」

「じゃあ先生と直人くんはどう?」

「小平さんは、かってに学校をでたことと、先生におたまじゃくしをかけたのが悪い。それで、先生は小平さんをぶったのが悪い。」

奈津子はハキハキと話すようになっていた。

「だから?」

「だから小平さんはかってに学校を出て、あと、おたまじゃくしかけてごめんなさいって言って、先生はぶってごめんなさいって言わなくちゃいけない!」

 すっきりとした表情を浮かべる奈津子を抱き寄せた。そして頭をわしゃわしゃとなでた。

 

 翌週、僕の予想に反し例の事件は学校規模の大事件にまで発展していた。直人くんのお母さんが暴力事件だと学校側に先生の懲戒免職を求めて訴えたのだ。それに伴い、教師の暴力の排除を求める保護者の団体が、校長室に押しかけるなど学校側の業務に支障が出るようなった。

 矢野先生が辞めさせられるという噂が生徒たちの間でも噂になっていた。

なっちゃん、【矢野先生好きだからやめてほしくないな。】って泣いてたよ。」

 仕事から帰った後、妻からその話を聞き僕は黙っていられなくなった。生徒が脱走したのを血相変えて探しに行くような、生徒思いの先生を教育の場から排除するわけには行かない。

そして、週末に開かれるという保護者説明会に乗り込む決意をした。

 

「この度は生徒を平手打ちにするという、教師あるまじき行為を行ってしまい申し訳ございませんでした。直人くんが校庭の外に出て行ってしまったと聞き、この辺は車通りは少ないですが、用水路に落ちてしまったら、誘拐されてしまったらと思ったら居ても立ってもいられなくなり私もすぐに後を追って探しに行きました。直人くんは私が探しに行ったのを見計らって校庭に戻ってきたようでした。戻ってきたときに、その姿を見つけ胸を撫でおろしたのと同時にちゃんと言い聞かせなくてはと思い、直人くんを叱りつけました。すると、直人くんは私にオタマジャクシの入った水をかけてきたので、【どれだけ心配したと思っているのだ!】と思わず平手打ちをしてしまいました。」

 矢野先生は震える声で、そう説明をすると校長と共に深々と頭を下げた。

 質疑応答の時間では、予想通り直人くんのお母さんとその派閥がマイクを片手に矢野先生を糾弾していた。

『人の子供に暴力を振るうなんて、言語道断です!』

『暴行罪です!』

『言葉で言って聞かせるのが先生の役目じゃないんですか?あなたは何のためにいるのですか?』

 質問に対して、回答ができないうちに畳みかけるように、保護者のグループは矢野先生に追い打ちをかけた。先生は顔面蒼白でうつむき、肩を震わせていた。

 そして、直人くんの母親の『暴行罪です。犯罪者に先生をやる資格があるのですか?』という一言に僕は思わず席を立ち上がった。

 

『直人くんは言って聞くような良い子なんですか?』

 保護者たちの視線が一気に僕に集まった。

『はい?』

 直人くんの母親はマイクを持ったまま僕の言葉に頬を引き攣らせた。

『ですから、あなたは直人くんを言って聞くような良い子に育てられたのですか、と聞いているのです。』

 僕は、近くでおろおろとしている職員にマイクを手渡すように促した。

『僕は、子どもに躾をするときに暴力を用いることは大っ嫌いです。最低だと思います。子どもがやんちゃをするのは仕方ないことだからです。』

直人くんの母親は、理解できないという表情をした。

『だけれど、言っても聞かない子に育ってしまった場合に、言葉による教育がどれほど有効なんですか?学校を脱走するなんてことをする生徒が今までどれだけいたんですか?』

 僕が校長先生の方を見ると、校長先生は首を横に振った。

『今までいないそうですよ。だってそうですよね、ちゃんと親が言って聞かせる子に育てていれば、勝手に学校を出てはいけないという周知のルールを破ろうなんて思いませんもんね。』

 『だからって叩くことないじゃない!』

 そうよそうよ、と派閥のヤジが飛ぶ。

『あなたは、ご自分のお子さんがどれだけ危険なことをしでかしたか分かっているんですか?息子さんが学校を出て行ったと聞いて、真っ青になって探しに行った矢野先生の気持ちが少しでも理解できますか?あなたは心配して探しに行ってくれた矢野先生に向かって、息子さんがオタマジャクシの泥水をかけたことに何も感じなかったんですか?むしろ息子さんと矢野先生に頭を下げるべきなんじゃないですか?』

 僕は続けた。

『今回の出来事の原因は貴方ですよ。教育を甘く見ているあなたにあるんです。』 

 僕は、幼い頃に膝につくんじゃないかというぐらい頭を下げる母親の背中と、頬の痛みを思い出していた。

 『矢野先生はあなたの代わりに息子さんを叱ったのです。息子さんは以前から先生の注意になんら耳を傾けないようですね。今回も、あなたがきちんと教育をしていれば、息子さんはあなたに叱られたことを思い出して踏みとどまったはずです。小学3年生にもなって、学校を抜け出したりオタマジャクシをかけたりと幼稚なことをするのが何よりの証拠です。』

 直人くんの母親は顔を真っ赤にして肩を震わせていた。

『矢野先生は息子さんとあなたに、平手打ちの件を謝罪しました。僕は一保護者としてあなた方の誠意ある対応を期待します。』

 会場は静まり返ってしまっていた。僕は少し恥ずかしくなり、先ほどの職員の方にマイクを返して椅子に腰を下ろした。

それ以上、誰も質問をしなかったので説明会は終了となった。

 

 後日、矢野先生は口頭注意を受けるにとどまったことを聞いた。

 賞は取れなかったが、画用紙いっぱいに描かれたバッタとその背中にのって仲良く遊んでいる先生と生徒たちの絵を、親馬鹿な僕は額に入れてしばらく自室に飾っていた。

 

 

 

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 私自身、両親に張り手をされたことは小さい頃に何度かあります。大きくなって善悪の分別がつくようになってからは一度もありません。叩かれるほど悪いことをしなくなったということもあると思いますが、「悪いことをすれば叩かれうる」ということが根底にあったからでもあると思います。

 特に4歳の時に寝ている父の口に、何を思ったのか脱いだ靴下を詰め込んでビンタされたときからは脱いだ靴下はすぐに洗濯機に入れるようになりました。

 お喋りが大好きだった私は、小学校に入学してすぐの頃、何度も注意されたのちに廊下に立たされていましたが、立たされている間に他のクラスの生徒が通るのが恥ずかしくて先生が教室に入ってきたら、すぐにおしゃべをやめるにようになりました。

 げんこつはもちろん、廊下に立たされたり、罰掃除をさせたりすることが虐待だと言われる今、先生の教育についての裁量の範囲は狭まっていると言えます。親がそれを狭めている分、自分たちでしっかり躾をしなくてはいけません。仕事で忙しいから、他に子供がいて構ってられないからということは言い訳になりません。そうしなければ子ども自身とその周りの人を傷つけてしまう恐れがあるからです。

 

  個人的に子供が大好きなので暴力で躾けるのは良くないと思います。でも、本当に二度として欲しくない危険な行為や、他人を深く傷つけるような行為をした場合に、私は叩いてしまうかもしれません。

 しっかりと何が悪いのかを説明して、痛みと共に心に刻み込ませます。人は叱られたことはすぐに忘れますが、痛みはしばらく記憶するからです。

 もちろん、叩かずに悪いことは悪いと判断できるようになることが一番ですけどね。

 

 学校の先生の不祥事は本当に悪質なものもあります。そのような場合は保護者が立ち上がって子供を守らなくてはなりません。しかし、モンスターペアレントはいけません。学校は子どもが社会生活を学ぶ最初の場です。しっかりルールを学ばなければ、文字通り真っ当に成長しません。

 子供が圧倒的に悪い上に、言葉では理解できない場合にはげんこつするぐらいは許されるんじゃないかな...と私は思います。

 

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巨乳は褒め言葉か。

※創作です。

 

 私は胸が大きい。

 中学1年生ぐらいから膨らみ始め、当時は周りの女子と比較しても平均的な大きさだったのだが、大学生になっても成長続け今ではいわゆる「巨乳」として認識されている。

 巨乳とはいっても、グラビアアイドルのようなありえないような大きさではない。胸の形には、おわん型や雫型、面積が大きくて平べったいものなどさまざまあるが、私はまさにおわん型で立体感があり、加えて華奢なため、同じカップでも他のタイプより大きく見えるのだ。

  ここまで詳細に私の胸の話をしたが決して自慢をしたいわけではない。

 しかし、中学・高校と女子校だった私は当時胸が大きいことを誇っていた。理由は簡単である。クラスメイトが私の胸を羨むからだ。

『ゆりの胸大きい。羨ましい!』

 そう言って触られると、人気者になったような、褒められているような気がして嬉しかった。

 (少なくとも私が通っていた)女子校では、皆が性に対しておおらかだった。ジャニーズ系のアイドルのグラビアを休み時間に取り囲んでキャーキャー言ったり、可愛い下着を見せ合ったりもした。

 何の抵抗もなかった。それが恥ずかしいことだとすら思わなかった。

 

  私が胸の大きいせいで恥ずかしい思いをするようになったのは大学生になってからだった。

 キャンプ好きの父の影響もあって夜に星を見るのが好きだった私は、大学に入学する前から天文サークルに入ろうと決めていた。 

 メンバーは男女ともに大人しい人ばかりだと思っていたが、バンドやスポーツ系のサークルと掛け持ちをしたりと多種多様の人が集まっていた。

 しかし、私は中高の6年間女子校だったこともあり、男性との接し方が分からずいつも同学年の女の子のそばにいた。

 

 1年生の初めての期末試験が終わり、サークルで打ち上げをしようということになった。私はお酒が飲めなかったのでこっそりジンジャーエールを頼んで飲んだふりをしていた。酔っ払った友人たちはいつもより饒舌で話も盛り上がり楽しかった。

 みんながいい感じに酔っぱらったところで私は一度トイレに行こうと席を立った。居酒屋の狭い通路を人をよけつつ歩いていくとトイレの前のスペースに先輩がしゃがみこんでいるのが見えた。男性の先輩であまり話したことはなかったが、そんなところで座っていては他のお客さんの迷惑になると思い、先輩の横にしゃがむと

『大丈夫ですか。』

と声をかけた。

 顔を上げた先輩は、見るからに酔っぱらっていた。目は潤んでいたし、首まで赤くなっていたからだ。

 先輩は私を認識すると、にへといつもの人当たりの良い笑顔を浮かべた。

『大丈夫そうですね。席に戻りましょう。』

そう言って立ち上がろうとすると、先輩は私の腕を引いて、いきなり胸をつかんできた。

『みんなが言ってた通りでっかい。』

私は、一瞬何が起こったのか分からなかった。反射的に先輩を突き飛ばすと、トイレに行きたかったことも忘れて席に戻った。

 頭は真っ白だった。両腕はこれでもかというほど鳥肌が立っていたし、すべての指の先端は氷のように冷たくなっていた。

 

 『私さー、先輩のこと好きだったんだけどね。先輩、ゆりのこと好きみたい。』

 サークルの中でも特に仲の良かった明里に恨めしそうに言われた。例の飲み会から数週間後のことだった。

『そりゃ先輩、巨乳好きらしいからね。』

 噂好きのひなこが茶化すように言った。2人の視線が私の服を押し上げる二つの膨らみに集まった。

『いいなあ、私も胸大きかったらなぁ。』

人で溢れかえった食堂で明里は自分の決して小さくはない胸をさすった。隣のテーブルに座っていた男子学生がその行動を目にし、慌てて目を逸らした。

『明里、先輩はタイプじゃないから。それに先輩が私を好きっていうのもデマだと思うよ。』

それを聞いた明里は目をキラキラさせてガッツポーズをした。

 先輩は私を好きなわけではない。好きだったらあんなことはしない。あんな、他人に対する敬意の欠片もないようなことを。

 

  めでたく女子の花園から、普通の社会に出た私は、数年かけて「巨乳の扱い」というものを学んだ。巨乳だね、は可愛いね、とかスタイル良いねと同様に使われていることも。

 そう言われて気分を害する人はいないと思われている。だって褒め言葉だから。だって人羨むものだから。

 

 ウェイ系のクラスメイトに冗談めかして「触らせてよ。」と言われた。話していても相手の視線が胸に行っている。バイト先の上司に「パイオツカイデー。」と言われた。電車で胸を肘でつつかれた。女友達には男性がいる前で胸の話をされたり、容赦無く胸をもまれたりした。そういう系のスカウトをされた。

 そんなことがある度に私の自尊心は少しずつ欠けていった。人の目が怖くなった。

 

それでも皆羨ましいという。

 

『それ、何となくわかる。』

書店のバイト仲間の信子が言った。信子は私が今まで出会った中で最も顔が可愛い女の子だった。顔はマスクをすると隠れてしまうほど小さく、メイクはほとんどしていないのに、目は大きく透き通っていて、頬は桃色に色付きふっくらとしていた。信子に愚痴ったのは、たまたま一緒に書庫の整理を任せられて、何か会話をした方が捗ると思ったからだ。何しろ信子になら、嫌味と受け取られる心配は万が一にもない。

『私、可愛いく生まれて幸運だと思ってた。』

絶世の美少女でなければ許されない台詞だが、信子であれば問題ない。

『だけど最近可愛いって言われるのが苦痛なの。』

笑おうとしたが、信子の横顔は真剣そのものだった。

『私、常に【彼氏に色目使ってくる女】ポジションに仕立て上げられるの。カップルの仲直りイチャラブセックスのダシに使われるのよ。こっちは微塵も興味ないのにさ。

 話したこともない子に【信子?可愛いけど性格絶対悪いよ?】って言われるの。あなたどちら様って感じ。

 女子だけの時は普通に接してくれるのに、男性がいる飲み会では【可愛いし常に彼氏3人はいるよね!】とか【可愛いけど名前は明治感あるよね。】とか言われるの。彼氏いたことないし、信子は母信代から貰った誇り高き名前なのに失礼しちゃうわ。

 勝手に撮った写真SNSにアップされていろんな人に送られたこともあったの。指摘したら【うちの大学で一番可愛い子ってキャプション入ってるし別に良くない?】って。良いわけない。

 可愛いって言われるたびに私は知らない誰かに誹謗中傷され、プライバシーは侵害されているの。

  可愛くてちやほやされている女は傷つかないと思われてるの。

  私は本当は、ただの友達が欲しい押し花作りが好きな地味女なのに。』

 私は信子が抱えている苦悩に思わず言葉を失った。

 可愛いね、と言われることで傷付く人がいるなんて思いもよらなかった。

まさか自分も先輩側の人間になり得たなんて。

 

 信子が老夫婦とバイトは私たち2人しかいない小さな書店で働いているのも、人との関わりに疲れてしまったからなのだろうか。

 

 『まあ気にしないことだよ。』

信子は最後の1冊を棚に押し込んで言った。

 『税金だと思えばさ。ほら、芸能人が払ってる有名税ってあるじゃん?有名になってお金稼げる代わりにプライバシー制限されるし、誹謗中傷も多少は我慢しなくちゃいけない。あれと一緒。可愛い税、巨乳税。』

 ね、と諦めたように笑う信子はやっぱり可愛かった。

 

  とても口には出せなかったけど。

 

 

 

 

 

 

   

   問:巨乳は褒め言葉か。

   答:そうとは限らないので注意しましょう。

 

 

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●あとがき●

 女性は胸が大きいほうが魅力的と世間では思われているようですが、嬉しくない・恥ずかしいと感じる女性の視点で書いてみました。フィクションとして書きましたが、少し実体験も盛り込まれています。

 嫌なら「やめてくれ」、とはっきり言えばい良いのではないかと思われる方もいるでしょうが、そんなことを言わなくてはいけないこと自体が彼女たちにとって屈辱なのです。

 たしかに性的に見られることを喜ぶ人も少なくないと思います。異性に魅力的に見られたいのは動物の本能ですし。しかし、マナーを忘れてしまっては本当にただの動物になってしまいます。褒めているつもりであっても、身体的特徴の話をする時には人・関係性(あなたはその人と個人的な話ができるほど親しい仲ですか?)・TPOをわきまえることを絶対に忘れてはいけないと思います。

 

【巨乳】をテーマに書いてみたのは、某献血ポスターが話題になったからでもあります。

 私個人は、少しでも献血される方が増えるのであればそのようなポスターには意義があると思っています。 

 一方で、女性の性的なパーツを過大に表現する作品が漫画やアニメの世界を出て一般的な場所にむやみに普及させることで「女性=おっぱい」という価値観が(男性女性問わずに)広まってしまうおそれがあります。それが作中のゆりのよう子が増えてしまう要因になりえるのです。

  ポスターに対する意見の中には、表現の自由という言葉が散見されました。表現の自由は何にでも無条件に認められるものではありません。その表現の価値と、表現によって損なわれる権利を多角的な面で比較した上で認められるものです。

 そういった意味で、性表現(とまでは言えないが微妙なもの)と表現の自由ついて再考する機会を、今回の献血ポスター事件はもたらしてくれました。とても素晴らしいことだと思います。

 人々が議論することによって、(責任の伴う)自由公正かつ健全な言論市場を発展させていきたいものですね。

 そういえば、今回ポスターのついて指摘したのは外国の方でしたね。多少は品位ついても考える必要がありそうです。

 

あと献血行きましょう!

 

  

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明確な理由はないのに絶望的に学校に行きたくない子の話

カーテンを開けると、思いがけない冷気が皮膚の表面を撫でた。

私は小刻みに震えながら歯の隙間から酸素を取り込み、パジャマ代わりに来ているパーカーのジッパーを上げた。

少し前まで、この時間はカーテンの隙間から朝日が既に差していたように感じられるのだが、まだ近所の屋根のふちが白く滲んで見えるぐらいだ。

庭の青々としていた柿もいつの間にかその葉を散らし、かろうじて残った数枚は朝の冷たい風に靡いていた。

 

美しい朝。しかし、私のちょうど胃袋の上あたりには小さな「絶望」がいた。

私は、部屋着を脱いで丁寧に畳むと、ワイシャツの袖に手を通した。ボタンを一つ一つとめるたびに指先が温度を失っていくのが分かった。これもヤツのせいに違いない。ヤツは私の胃袋の上に座っていて、どういう原理かは分からないが、少しずつ私の機能を奪っていくのだ。

 

スカートと靴下を履くと私は、洗面所に行った。鏡に映った顔は酷いものだった。肌は水分を失って白い粉が吹いているし、目の下には黒いスプレーを吹き付けたように隈がある。「オペを開始する。」と私は心の中でつぶやいた。私は、戸棚にある母親の高級そうなラベルの化粧水を掌に無遠慮に出すと、少し広げて顔全体に塗りたくった。すると、筋肉を動かすたびに引きつっていた皮膚が少し柔らかさを取り戻した。今度は、姉のBBクリームとかいう肌色の絵の具みたいなものを左手の人差し指にちょこんと出した。これを目の下にのせて薄くのばすと、痣のような隈がほとんど隠れた。そして、やっと人間らしくなった自分の顔を鏡でまじまじと見た。クラスに似たような子が2,3人はいるような何の変哲もない女子高生の顔だ。私は、精いっぱい口角を上げてにっこりと笑った。私は毎日幸せだ、と心の中で念じた。すると限りなく自然に笑える気がするのだ。

 

偽りの幸せはヤツの大好物で、これを食らってそれは成長する。

 

まだ暗い廊下を抜けるとリビングに続く扉のガラス部分から暖かな光がさしていた。奥のキッチンから包丁がまた板をたたく音がする。ドアを開けると、キッチンでは母がお椀に味噌汁をよそっており、すぐ手前にある食卓にはすでに新聞を読み終えた父が座っていた。

「あら、おはよう。そろそろ起こそうと思っていたのよ。」

「おはよう。」

木漏れ日のように暖かい母、無愛想だけれど優しい父。絵に描いたような幸せな家族がそこにあった。

「パパ、ママ、おはよう。」

私は父の向かいに座った。食卓には、大葉を包んだ卵焼き、皮がぱりぱりの焼き鮭、そして湯気の立ち昇る白米が並んでいた。

「学校はどうなんだ?」

めったに口を開かない父がテレビのニュースに目を向けながら言った。

「どうって……。友達はたくさんいるよ。勉強もいい感じだし。部活は茶道部に入ったよ。部費でお茶菓子食べれるんだ。」

すべて本当だ。それは事実の羅列であり、そこに私の感想は皆無だから厳密には父の問いには答えてない。しかし、父は満足したように頷き、母は「楽しそうでいいわね。」とほほ笑んだ。

私は幸の良いふりをして、今日もからからの笑顔を浮かべる。ヤツがまた少し肥大した。

 

母に見送られ、学校までの道を歩き出した。やっと姿を見せた太陽が澄んだ空気をゆっくりと暖める。すると、呼吸をした私の喉のあたりがひゅっと悲鳴を上げた。どうやらヤツが取り込んだ空気を致死性の毒に変えているらしい。最初に肺がやられて、やがて血液によって体全体が蝕まれていく。歩みを進めるたびに、足のつま先は徐々に感覚を失い、膝の震えは大きくなった。

 

 学校の校門が見えてきたときにはヤツは私の胃袋が支えきれないぐらいに大きく成長していた。「おはよう。」と私を見つけたクラスメイトたちが駆け寄ってくる。ポンと肩を叩かれた衝撃で私はジェンガのように崩れそうになる。私はうまく笑えているだろうか。

 

今日もヤツとの一日が始まる。

 

 

 

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寄席で道灌という話を聞いた。

 

 

我が家のキッチンからはテレビが見えないので、朝はラジオを聞いています。

早朝の時間帯はニュースや語学講座が多いのですが、少し後になるとたまに落語が流れてきます。

これが結構面白いので、ついつい耳を傾けてしまいます。

お話はくだらなくて笑ってしまうものや、思わず感心してしまうものまで様々です。

そのようなこともあって、私は寄席というものに行ってみたいと思うようになりました。

寄席といえば浅草や上野が有名ですよね。しかし、寄席はお客さんの年齢層が高くて上質な着物を着ていく人もいるということを聞いて、20代の小娘が1人で行くのは少し気が引けました。

そんな時に、市民ホールでプロとアマチュアが話し手をやるというイベントの存在を知り「寄席デビューにはちょうどいい!」と思い、行くことにしました。

 

生の寄席を体験して思ったことは「ラジオで聞くものとは全然違う!」ということでした。

噺家さんは1人で2役3役を、声だけではなく身振り手振りや小道具を用いて演じます。お酒の飲み方ひとつでも男性の役の時は豪快に、女性の役の時は色っぽくとまるで別々の人が話しているかのように感じます。

 

どのお話もとても興味深かったのですが、中でも「道灌」というお話がとても面白かったのでそのあらすじをご紹介させていただきます。

 

ある時、八五郎という男がご隠居の家で面白い屏風を見せてもらいます。

その絵は太田道灌という武将の「山吹の里」という伝説を描いたもので、ご隠居は八五郎にその伝説を聞かせます。

 

ある時、道灌は狩りをしている最中に村雨に遭います。そこで、道灌は近くの民家に雨具を借りにいくのですが、出てきた娘は『恥ずかしゅうございます。』と言って山吹の枝を差し出すだけでした。

道灌はその意味が分からず、頭をひねるのですが、家来の一人が次のような古歌があることを教えます。

 

七重八重

  花は咲けども山吹の

       実のひとつだに無きぞ悲しき

 

この短歌は、山吹は七重にも八重にも花びらを咲かせるのに、実は一つも実らない寂しさを読んだものです。

山吹の枝を差し出した娘は「実の」と雨具の「蓑」をかけて『お貸しできる雨具はございません。』と伝えたかったのです。

それ理解した道灌は『自分もまだ歌道に暗いなあ。』と自分の無知を恥じました。

これが伝説の内容です。

 

ご隠居からの話をきいて八五郎は自分のところによく雨具を借りにきて返さない友人がいるのを思い出し、この歌を用いて粋に断ろうと考えます。

 

八五郎が家に帰ったころちょうど雨が降り始め、友人がさっそく八五郎のもとへやってきます。しかし八五郎の期待に反して、友人は『道が暗いから提灯を貸してくれ。』と言います。その日に限って友人は雨具をちゃんと身に着けていたのです。

提灯では例の歌で断ることができないため、八五郎は『雨具を貸してくれといえば提灯を貸してやる。』と言います。

困惑しながらも提灯を借りれるならと友人は『雨具を貸してくれ。』と言います。

すると八五郎は先ほどの句を書いた紙を友人に差し出します。

しかし、友人は『ななへやへ...?はなはさけとも...?』と読むことができません。

しびれを切らして八五郎が代わりに読み上げます。(八五郎もちゃんと読めていません。)

それを聞いた友人は『随分短い都々逸だな。』と言います。

(都々逸とは7・7・7・5で構成される句です。この句は短歌ですし、都々逸は短歌より短いので短歌を聞いて短い都々逸というのもおかしなものです。)

八五郎は『都々逸だあ?お前歌道に暗ぇな。』と友人を小馬鹿にします。

すると、友人はきょとんとして『角が暗ぇから提灯借りに来た。』と言って終わります。

 

山吹の里の伝説だけでも、娘さんの機転の利いた、風情のある返しに感心させられましたが、その後の八五郎と友人のやり取りは笑えますし、最後の歌道が暗いと角が暗いをかけたところには思わず「うまい!」と声に出したくなりました。

 

寄席のお客さんは、60歳~80歳のご高齢の方が多かったです。20代どころか40代の人も1人もいなかったと思います。なので、待ち時間はとても居心地が悪かったのですが、始まった後はそのようなことも忘れてお話に聞き入り、ほかのお客さんと一緒に笑ったり拍手したりしました。

 

落語は面白いだけでなく、その日本語の美しさに感動させられます。

いつか、山登りをして山吹の花を目にしたらきっとこの歌を思い出します。

 

大地を濡らす村雨を、恥ずかしそうに頬を染める娘を、悔しがる道灌を、おとぼけの八五郎と友人を。

 

私はきっと思い出します。

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八重の山吹